対話(ダイアログ)とは?


そもそも対話(ダイアログ Dialogue)とは?

 

ダイアログの語源はギリシャ語のdia(~の間で)とlogos(意味、言葉、論理、真理)です。つまり言葉(意味)が行き交うという意味です。

 

対話(ダイアログ)とは、タフな話し合い(議論や討論)を乗り越えたところに生まれる自由で、正直な話し合いです。

 

シャーマーの言う生成的な対話の空間では、①さまざまな意見を持った人々が集い、②皆がオープンに、自由に、正直に、真剣に発言し、③自分とは異なる意見にも誠実に耳を傾け、④そこに仲間意識、信頼関係、創造的なアイディアが生まれます。

 

注意しなければならないには、生成的および内省的な対話とは、タフな話し合い(議論、討論、意見の対立)を乗り越えて初めて開けてくる空間であることです。

さまざまな人々が、自由に、正直に、本音で話し合うのですから、意見の「対立」が生まれるのはとても自然なことです。対話はその対立を乗り越えたところに生まれるのです。

 

ところが、日本では、当たり障りのない丁寧な会話が良い会話とされ、タフな話し合いは回避される傾向があります。「本音と建前」という言葉が示す通り、本音で話そうとしないのです。これでは意見の相違や対立は生まれませんし、「生成的な対話」などは夢のまた夢です。

 

しかし、意見の対立が感情的な敵対に発展することは避けなければなりません。そのための工夫のひとつが欧米におけるアサーティブネスなのです。本音を隠した曖昧な発言が行き来する日本社会における話し合いには、アサーティブネスは不要であり、時には有害でさえありえます。ただでさえ曖昧な発言をさらにもう一段曖昧にしてしまう危険性があるからです。

 

日本社会の安全・安心は、対立を恐れて本音のタフな話し合いを避けることによって維持されています。安全。安心!一見よさそうには見えますが、その問題点は「真の信頼関係」が生まれないこと、そして「変化」や「変革」が起こりにくいことです。意見の対立がないところに変化は起こらないのです。

 

いまの日本は、「貧困」や「国際競争力の低下」という2つの深刻な問題を始め、対立を恐れずに自由に、正直に、真剣に話し合わなければならない問題・課題をたくさん抱えています。いつまでも当たりさわりのない丁寧な会話に終始して、問題・課題を先送りし続けるわけにはいかないのです。

 

第一歩は、自分の本音の意見を正直に発言することです。そして他者の意見に好奇心をもって耳を傾けましょう!